アラビアンナイト演出ノート最終回 公演に向けてお客様へのお願い

2017.01.20 Friday

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    倉迫です。

    明日はいよいよ初日です。

    なので、演出ノートもこれで最後です。

     

    この作品、立川公演から二度目の公演初日ですが、

    劇場に合わせて、こまごま作り替えた結果、

    同じストーリーでありながら、シーンの手触りはずいぶん変わっています。

    ですので、新たな作品を上演するのと同じくらい、

    お客さんに受け入れられてもらえるだろうかと、不安と期待でいっぱいです。

     

    とはいえ、三日後にはすべてが終わるわけで、

    そしたら少し羽を伸ばすつもりです。

    この一年、ちょっと忙しすぎました。

    実際、体にもいろいろダメージがたまっているので、

    2月、3月と放課後シアターやそのほかのイベントもありますが、

    ペースを落として、来年度からのことをゆっくり考えたいと思います。

     

    なので、この公演の三日間は、お客様との出会いを存分に楽しみますよ!

    ぜひ、劇場に遊びに来てください。

     

     

    そして、お客様に一つ、お願いがあります。

    「アラビアンナイト」というこの人類の遺産ともいうべき世界文学は、

    ヨーロッパに紹介される前までは、「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」として、

    アラブ世界で大切に伝えられてきました。

    現在、知られている最も古い写本はシリアで15世紀ころに作られたものなんだそうです。

    シリアのアレッポなどの大都会では、コーヒーハウスに集まった人々が、

    語り手の物語に聞き入り、人々は物語をめぐっての議論に熱中していたと言われています。

     

    シリアのアレッポ、

    ニュースや記事などでお聞き覚えがある方も多いのではないのでしょうか。

     

    昨年行った「アラビアンナイトを知るための連続レクチャー」の中の

    『アラブ音楽レクチャー』でウード奏者の常味裕司さんが語ってくれた、

    平和だった頃のシリアのすばらしさ、

    写真で見せていただいたアレッポの美しい街並みが、僕は忘れられません。

    そして、『アラブ料理レクチャー』講師の金子貴一さんも

    「アラブでもっとも美味しいのはシリア料理だ」とおっしゃっていました。

    いい店がたくさんあったと。

     

    そういう場所が今、紛争によって破壊され、

    多くの子どもたちの生命が危機にさらされています。

    僕はその事態を知り、座組の皆に相談した結果、

    『音楽劇 アラビアンナイト』上演チーム有志一同からの呼びかけという形で、

    シリアの子どもたちへの人道的な支援に協力するために、

    日本ユニセフ協会による「シリア緊急募金・寄付」の募金箱を

    劇場ロビーに設置することにしました。

    募金の総額や日本ユニセフ協会への提供の報告は

    後日、たちかわ創造舎のウェブサイトにて行います。

    観劇のあとに、もしご協力いただけるようでしたら、

    ぜひともよろしくお願いします。

     

    アラビアンナイト演出ノート8 子どもたちに向けた作品を創る理由

    2017.01.19 Thursday

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      倉迫です。

      お蔭さまで最終日、22(日)15時の回の前売りチケットの販売は終了しました。

      21(土)17時の回の前売りも残り少なくなってきています。

      20(金)16時と21(土)13時が、良席をお求めの方にはおすすめです。

       

      さて、僕は子どもたちに向けた作品を多く上演しているからか、

      「子どもがお好きなんですね」と、よく言われます。ありがたいことです。

      でも、僕が子どもたちに向けた作品も創るようになったのは、

      子どもを好きだったからではありません。というと、誤解されそうですね。

      もう少し、別の理由からだと言うのを、今日は書いてみます。

       

      よみしばい『アラジンと魔法のランプ』(C)Hironobu Hosokawa

       

      今でこそだいぶ慣れましたが、もともと僕は子どもが苦手でした。

      なぜかと言うと、僕が「子どもが苦手な子ども」だったからです。

      僕はクラスメイトの「子どもっぽさ」や「子ども同士のノリ」みたいなものが

      苦手な子どもでした。マセガキ+転校を重ねたことも関係していたと思います。

      そして、「子どもが苦手な子ども」のまま、僕は大人になりました。

       

      そんな自分が30歳を過ぎて、

      子どもたちに向けた演劇を創るようになった理由は二つ、あります。

       

      一つは、「子どもが苦手な子ども」だった自分が、

      子ども時代の楽しかった場所は劇場だったからです。

      単なる市民会館や県民文化ホールみたいな場所での上演だったと思いますが、

      例えば『大どろぼうホッツェンプロッツ』の人形劇を観に行った経験は、

      作品の内容は忘れても、今でも「楽しかったな」という記憶は残っています。

      もちろん年に何度も演劇を観に行けてたはずはありません。

      「子ども劇場」に入会してたとかではないから、おそらく年に一回か二回。

      それでも30を超えて、自分はなんでこんなに劇場という場所に惹かれるのかを

      考えた時、答えはそこにありました。

      子どもの時にとても楽しい思いをした場所だから。

       

      よみしばい『星の王子さま』ワークショップ

       

      もう一つの理由は、「子どもが苦手な子ども」だった僕ですが、

      いい年になったからか、自然と「子どもたちに優しい社会」を望むようになりました。

      自分のこの変化は、だいぶ予想外だったんですが、受け入れることにしました。

      たぶん、そういう社会は大人にも優しいだろうから。

       

      でも、苦手は苦手なんです。嫌いではないですよ。

      どう接していいのかわからない。ので苦手。

      だから「子どもたちに優しくしたいなあ」と思いつつも、

      どうしていいのかわからないので

      「子どもたちに優しくありたいなあ」と漠然と思うようになりました。

      わかっていただけますでしょうか、この違い。「したい」と「ありたい」。

       

      子どもたちを見ると思わず微笑んでしまうとか、

      泣いている子どもを見ると「あーどうしよう」となるとか、

      そういう視線をせめて注げるようになりたいと思ったのです。

      で、優しくありたいを目指した時、

      子どもたちに向けた創作を考えるようになりました。

       

      だから、「子どもとおとなにいっしょに楽しむ舞台」には、

      僕のようなかつて「子どもが苦手だった子ども」だった大人たちが

      来てくれないかなあと思ったりもします。

      僕は子どもたちに向けた作品を創ることで、

      自分の子ども時代と出会い直し、

      どんな大人として生きていくのかを考え続けています。

       

      劇場は、そんなこともできる場所なんです。

       

       

      アラビアンナイト演出ノート7 私の考える音楽劇

      2017.01.18 Wednesday

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        倉迫です。

        本日より吉祥寺シアターに入りました。

        初めての劇場ですが、これまで客席で感じていた通り、いい空間ですね。

        昨年の12月23日24日に立川で上演しての吉祥寺公演、

        記憶が新しいうちの再演とあって、調整にも熱が入っています。

         

        今回の作品は「音楽劇」と銘打たれています。

        僕が自分の作品に「音楽」と冠したことは、以前に一作品だけあります。

        2013年と2014年に上演した、「音楽朗読劇『宮沢賢治のイーハトーボ』」です。

         

        2013年は洗足学園音楽大学のシルバーマウンテンで上演しました。

        YouTubeで全編を視ることができます(いつのまにか視聴回数が4500回を超えてました!)

        ピアノに篠原真先生、打楽器に古川玄一郎さんを迎えた幸せな公演でした。

         

         

        同じ作品を、キャストを変えて2014年4月に、

        こまばアゴラ劇場で劇団単独で企画・運営した

        『ケンゲキ!(宮沢賢治演劇フェスティバル)』の中で再演しました。

        こちらは予告編の映像をYouTubeで視られます。

         

         

         

        この作品は、その後、2014年8月にも再演。

        そのときは古川玄一郎さんのみの演奏でした。

         

         

        この『宮沢賢治のイーハトーボ』の経験をもとに、2年越しの熱望が実現させて、

        古川さんとがっつり組んだのが、今回の『音楽劇 アラビアンナイト』です。

         

        今までの僕の演出作品にミュージカルやオペラはありますが、音楽劇はありません。

        また、「子どもに見せたい舞台」シリーズでは俳優による生演奏が

        ふんだんに織り込まれていましたが、音楽劇とは名乗りませんでした。

         

        なぜかと言うと、音楽劇と名乗るには、

        「この人はすごい!」と僕が感じる音楽家による生演奏が、

        俳優の演技と同じ比重で存在する必要があると考えていたからです。

        ですので、僕の音楽劇は歌いません。

        演奏と演技、あるいは奏でることと語ることが、

        音においても、身体においても、交じり合うことを目指しています。

         

        古川さんの専門は、クラシックでもポップスでも無く、現代音楽。

        昨年12月に行われた、戦後に作曲された現代音楽の演奏を競う

        「第12回現代音楽演奏コンクール競楽12」で第3位に入賞しました。

        音楽大学等の教育機関では即興演奏やJ.ケージ、S.ライヒの音楽に関する講義・講演も行っています。

         

         

        アラビアンナイト演出ノート6 隣のファンタジー

        2017.01.17 Tuesday

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          倉迫です。

          いよいよ明日から吉祥寺シアターに入ります。

          僕にとっては初の吉祥寺シアターでの公演です。

           

          さて、アラビアンナイトは現代的なジャンル分けでいうと、

          ファンタジー小説集と言えると思います。

          アラビアンナイトのファンタジー要素は主に二つ。

          一つは「魔法」、もう一つは「ジン」の存在です。

          ジンとは、精霊や魔物といった「超自然」の存在を指します。

           

           

           

          例えば、アラジンの魔法ランプに封じられている存在は、

          翻訳によって「ランプの精(または精霊)」だったり、

          「ランプの魔人(または魔神)」だったりしますが、

          要するには「ランプの中の超自然的存在」です。

          ディズニー映画の『アラジン』のランプの精の名前が

          ジーニーなのはジンの単数男性形のジンニーから来ています。

           

          ただ、魔神というのは誤訳と言われることもあるようです。

          イスラム教の世界で神はアッラーのみ。

          他の存在に神という文字はつかないと言うのですね。

           

          でも、ジンはイスラム教が成立する前からアラブ世界にいて、

          人々から崇拝されていた存在と言われています。

          ジンとは原始的な多神教の神々の名残りではないかと推測されます。

          それがイスラム教成立後に、人々の間になじみのあったジンを

          イスラム教も無視することはできず、

          人間と同じくアッラーが作った存在と秩序づけました。

           

          では、人間とジンはどちらが上なのでしょうか。

          一般にジンは人間より優れた存在ですが、

          ソロモン王には勝てないとされています。

           

           

          なぜソロモン王には勝てないのか、

          それはソロモン王が「知恵」の象徴だからです。

          二つ上の絵のジンもソロモン王に封じられていたジンです。

           

          つまり、ジン(精霊や魔物)は人間の知恵によって御することができる存在であり、

          人間がコミュニケーションを取ることができる存在なんです。

          ジンと人間の知恵比べ、会話による丁々発止はアラビアンナイト名物の一つです。

           

          なので、僕から見ると、ジンは日本の妖怪に近い存在のように感じます。

          それも「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくるような、

          人間とコミュニケーションすることができる妖怪たち。

          ジンは人間の住む世界をちょっと広げる存在なんだなと思います。

          ハリーポッターの魔法の世界のように、

          目に見えない何かを人間の想像力が可視化した存在。

          人間の住む世界と地続きの世界に棲む住人たち。

           

          人間の世界の隣にある「ファンタジー」の世界。

          古来より、なぜ人間はファンタジーの物語を求めるのか。

          それは人間の世界と拮抗する世界が目には見えないが在ることによって、

          この宇宙のバランスは取れているという感覚を人間が持っているからではないかと、

          僕は推測します。

           

          実は僕は子どもの頃、ファンタジーが苦手でした。
          それよりも人間の心理や社会の現実に興味があったからです。
          だから小説もそういう小説を好んで読んでいました。
          しかし、大人になるにつれ、ファンタジーを求めるようになっていきました。
          ファンタジーは「今、自分が生きている世界とつながっているが

          普段は見えない世界が姿を現す」という現象だと僕は考えています。
          そういう世界があることを無意識のうちに望んでいるのかもしれません。

          なので、大人にこそファンタジーは必要だと僕は思っています。

           

          アラビアンナイト演出ノート5 アリババと3人の女性たち

          2017.01.16 Monday

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            倉迫です。

            なんと、昨晩はこれを書いてる途中に寝落ちし、

            朝になってしまいました。

            シェヘラザードだったら、首を斬られているところです。

             

            さて、昨晩は『音楽劇 アラビアンナイト』の二つの大きな柱のうち、

            『星のさだめ』についてお話しましたが、

            今日はもう一本の柱『アリババと40人の盗賊』について、お話します。

             

            (いもとようこさんの絵本にもあります)

             

            アリババと聞くと、こんなポーズを取っての「開け、ゴマ」ですよね。

            この呪文を唱えると洞窟が開き、中には金銀財宝が山のように隠されている、

            というイメージをお持ちの方が多いと思うんですが、

            「開け、ゴマ」と言って洞窟を開けるシーンは序盤にしか出てきません。

            そして、タイトルロールでもあるアリババですが、実はさして活躍しません。

            どちらかというと悪意なくトラブルを招きよせる存在だと言えます。

            で、そのトラブルに巻き込まれるのがアリババの妻とアリババの兄の妻であり、

            トラブルを解決するのが女奴隷のモルジアーナ(またはモルジアナ)です。

             

            『アリババと40人の盗賊』を読みなおした時、

            アリババよりもアリババを取り巻く女性たちが目立つ作品という印象を受けました。

            そして、トラブルに巻き込まれるのを「神の御心」と言って受け入れる女性たちと、

            トラブルを解決しようと「知恵」を駆使する女性という対比が鮮やかに感じられました。

            この「知恵」を駆使するモルジアーナが、アラビアンナイトの中で、

            人気キャラクターの一人というのもうなづけます。

             

            (剣の舞を踊るモルジアーナ)

             

            アラビアンナイトには美しいと称される女性が多く登場しますが、

            身分の高い女性が称賛されるときは「朝の光のような」とか、

            「満月のような」という枕詞がつけられることが多いです。

            肉体的な美しさ+聖なる美しさ、ということなんでしょうね。

             

            一方、肉体美に恵まれた女奴隷が褒めたたえられるには、

            肉体美に加えて「言葉使い・機知・歌や踊り」という特質を

            備えていることが多いです。

            モルジアーナもそうした女性の一人です。

            結果、彼女たちは男性社会の中で思わぬ出世を遂げていきます。

             

            アラブの文化は男性による「秩序」を重視しています。

            その秩序を脅かす存在として「知恵のある悪女」と、

            あるいはモルジアーナのように秩序を回復させたり、

            秩序が乱れるのを事前に防ぐ「知恵のある女性」がいます。

            そのどちらもが魅力的に描かれているのが、

            アラビアンナイトが世界的な文学になった理由の一つと言われています。

             

            ちなみに盗賊の40人という数字は、正確な数を示すものではなく、

            他の話の中でも「40人の召使」とか「40人の乙女」とかよく出てくるんですが、

            「たくさん」という意味だと思って良いようです。

             

            20(金) 16:00

            21(土) 13:00 / 17:00

            22(日) 15:00

             

            チケットは全席指定となっています。

            武蔵野市文化事業団

            Confetti

            アラビアンナイト演出ノート4 星のさだめと神の御心のままに

            2017.01.15 Sunday

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              倉迫です。

              今晩こそは『音楽劇 アラビアンナイト』で上演する物語の話をします。

              数あるアラビアンナイトのお伽話の中から今回原作に選んだのは大きく二つ、

              『星のさだめ』と『アリババと40人の盗賊』です。

              これに、シンドバッドだったり、魔法の絨毯だったり、もの言う鳥だったり、

              アラジンだったり、黒檀の馬だったりの要素が加味されています。

              今晩は『星のさだめ』についてお話します。

               

              (写真は『星のさだめ』の一場面。王子と星のさだめを予言された少年)

               

              この『星のさだめ』という作品は、日本ではそれほど有名ではないのですが、

              「アラビアンナイトの真髄。最もその精神を表している」と言う人もいるお話です。

              「さだめ」を漢字で書くと「宿命」でしょうか。

              「運命」と書く向きもありますが、

              ある人の逃れようのない人生の顛末は、本人からすると「宿命」、

              他者から見ると「運命」というのがしっくりくるような気が僕はします。

              「宿命」は主観的把握、「運命」は客観的把握という感じですね。

               

              (同じく『星のさだめ』の一場面。少年の父親と星のさだめを予言した占い師)

               

              さて、なぜ『星のさだめ』がアラビアンナイトの真髄なのか。

              このお話は、どんなに人間が懸命に努力しても、人生には思いがけないことが起こる。

              自分の人生も自分のものではけしてない、すべては神の御心なのだ、

              というテーマをそれはもう直接的に描いた作品だからです。

              つまり、このお話はイラスム教の最も中心となる哲学である

              「インシャラー(インッシャアッラー)=神の御心のままに」を描いているんですね。

               

              人間は、思い通りに生きられなかったり、

              約束を守れなかったり、タブーを侵したりするもの。

              しかしそれは神の御心。

              ならば、それを約束事として受け入れようという、

              人生に対する前向きさに変換するのが「インシャラー」ではないかと思います。

              このインシャラーは他のアラビアンナイトのお話の中にもたくさんたくさん出てきます。

              しかし、この『星のさだめ』が、他のアラビアンナイトの話と違うなあと、

              僕が感じたのは、星のさだめの通りに生きた人間が辿り着く境地も描いていることです。

              それは「そうした自分の人生を物語化することで受け入れる」です。

               

              アラビアンナイトにはシェヘラザードだけでなく、

              彼女の語る物語の中で物語を語る人物が現れ、

              さらにその物語の中にまた別の物語を語る人物が現れたりします。

              「語る人」がたくさん出てくるんですね。

              彼らの多くは「自分の人生を物語として語ることで自分の人生を受け入れる」ために語ります。

              そして、そうして語られた物語が、別の人の人生を慰めるんですね。

               

              僕はこの語り手たちのあり方は「俳優」だなあとも思ったりして、

              今回、『音楽劇 アラビアンナイト』の重要な柱の一つにしました。

              「星のさだめ=神の御心=己の不条理な人生」をどう受け入れるか、

              そして受け入れる過程におけるお伽話の効用とは何かを考えながら創っていきました。

              その成果や如何に。ぜひ劇場でお確かめください。

               

              (同じく『星のさだめ』の一場面。王に自分の旅について語る男と

              それを見つめるシェヘラザード)

               

              ただ、まあ、アラビアンナイトを読んでいて面白いのは、

              「神の御心」と言いながら、人間なんてそんなもんですが、

              自然災害以外は人間の「好奇心」や「欲望」によって起きることがほとんどだってことですね。

              抑えきれない「好奇心」や「欲望」こそが神の御心なのかもしれません。

              そして、神との約束をとても大事にするからか、人間同士の約束は割と簡単に破られます。

              そういうところもまたアラビアンナイトのドラマ性として楽しめるところだったりします。

               

               

              アラビアンナイト演出ノート3 増殖するアラビアンナイト・ワールド

              2017.01.14 Saturday

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                倉迫です。

                深夜ですが、張り切って更新します。

                 

                アラブで生まれた「アルフ・ライラ・ワ・ライラ(千夜一夜物語)」が

                18世紀にヨーロッパで「アラビアンナイト」として紹介され、

                大人気を博したというのは以前の演出ノートにも書きましたが、

                当然アラビア語ではなく、英語やフランス語で出版されました。

                つまり、翻訳者がいたということですが、「アラビアンナイト」の場合、

                翻訳者の個性によって全然違うテイストの物語集になりました。

                児童文学として教訓的な部分を強調した「アラビアンナイト」もあれば、

                男女の絡みをオーバーに書いた性愛小説風の「アラビアンナイト」もあります。

                 

                最もエロティックな描写が多い(というか書き足しすぎ)のバートン版の

                表紙なんてこんなんです。バーン。

                遠慮気味に小さくしておきましたが、電車の中でカバーをつけずに読むには、

                かなりの勇気が必要そうなのは、わかると思います。

                 

                そして、日本の「アラビアンナイト」は、このように、

                英語やフランス語のものを翻訳したものがほとんどで、

                そこでさらに日本語の翻訳者の個性によって、

                タイトルが同じでも全然違う作品が多数生まれることになりました。

                しかも、もともと長いお話が多かったのを児童向けに短くしたり、

                結末を柔らかいものに変えたり、残酷さを省いたりしたものが、

                児童文学としての「アラビアンナイト」として主流になっていきました。

                だから、正直、全然違う、真逆の話になってることもあります。

                 

                アラビア語の原作から直接、日本語に翻訳された「アラビアンナイト」としては、

                平凡社の東洋文庫のものが有名です。

                 

                 

                ただ、このシリーズ、読むのにかなりの忍耐力がいりました。

                読みにくいし、話が長い。

                翻訳が古い(なにせ出版が1966年!僕の生まれる前)のは

                さておくとしても、これを読むと、

                「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」は子ども向きに書かれたものではないことが

                よくわかります。

                 

                しかし、このように国によって時代によって自在に改変されることが、

                アラビアンナイトの最大の特徴であり、そのお蔭でここまで世界中に広がり、

                時代を超えて語り継がれているのかもしれません。

                 

                ちなみに、ディズニーの『アラジン』が好きという人が多いと思いますが、

                19世紀末のイギリスの画家ウォルター・クレインが書いた挿絵のアラジンが、

                これ。はい、ドン。

                 

                 

                中国人です。ウォルター・クレインが浮世絵の影響を受けていたので、

                日本人ぽさもありますが、中国人です。

                「アラジンと魔法のランプ」の舞台はアラブではなく、中国です。

                そして、アラジンと敵対する悪い魔法使いは、はい、この人です。ドン。

                 

                 

                彼は、アフリカの西、マグリブと呼ばれる地方の出身です。

                そして原作のアラジンには魔法の絨毯は出てきません。

                あれはアラビアンナイトの中の別のお話で出てきます。

                つまり、ディズニーの『アラジン』は、

                アラビアンナイトという作品に対して欧米人が持つ

                平均的なエキゾチックなイメージを集約した作品と言えるかもしれません。

                だから、広く受け入れられたとも言えます。

                 

                日本でも人気マンガの『MAGI』も

                アラビアンナイトの世界を下敷きにした作品と言えます。

                 

                 

                8世紀に生まれたアラビアンナイト・ワールドが今でも

                どんどん広がり続けていると考えると、

                「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」が

                人類規模の文化遺産であることは間違いありません。

                 

                今夜は『音楽劇 アラビアンナイト』で取り上げた原作の物語について

                お話ししようと思ったのですが、長くなってしまいましたので、

                また明日の夜にまわしたいと思います。

                それでは、また明日の夜に。

                 

                アラビアンナイト演出ノート2 夜に語られるお伽話の魅力

                2017.01.12 Thursday

                0

                  倉迫です。

                  怒涛のようなブログ更新が始まりましたね。

                   

                  演出ノート、続きです。

                  前回、アラビアンナイトには定本が無いという話をしましたが、

                  構造は全て同じです。

                   

                  王妃が明日の朝には自分を殺すかもしれない王に、

                  毎晩、夜伽に物語(お伽話)を聞かせることで命を長らえていくというのが、

                  大きな枠組みとなっています。

                   

                   

                  この王妃の名前はシェヘラザート、シャハラザード、シェラザードなど、

                  様々に表記されますが、僕は語感から「シェヘラザード」を採用しています。

                  シェヘラザードが毎晩語るお伽話として

                  「アラビアンナイト」の全ての物語はあるという構造になっているのは、

                  どの「アラビアンナイト」も一緒です。これを枠物語と言います。

                   

                  上の絵は古代ペルシアのシャフリヤール王に、

                  シェヘラザードが語っているところ。

                  もう一人の女性は、シェヘラザードの妹のドゥンヤザードです。

                  彼女も、ディーナーザードとかディーナールザードとか別の表記があります。

                  このドゥンヤザード、妹ということに現在ではなっているんですが、

                  古いバージョンだと彼女は王の奴隷頭で、

                  シェヘラザードと手を組んでいたという設定のものもあります。

                   

                  なぜ王にシェヘラザードが毎晩命がけでお伽話を語るようになったのか。

                  簡単に言うと、かつて愛する妃に裏切られた王が、その妃を処刑したのち、

                  毎晩、違う娘を妻に迎えては翌朝処刑するということを繰り返していた。

                   

                  こんな感じで裏切った↓

                   

                  その王の行為を止めるために、大臣の娘であるシェヘラザードが

                  自らすすんで王の妻=妃になった。

                  王はシェヘラザードが夜毎に語るお伽話が面白くて、続きが聞きたいため、

                  彼女を殺さずに何年も過ぎ、王は改心した。

                   

                  つまり、王の女性への猜疑心や復讐心を毎晩物語によって癒し、

                  やがて救済したというのが、アラビアンナイトの枠組みなんですね。

                  でも、これを成功させるには二つの力が必要になります。

                  一つは「お伽話の力」。

                  シェヘラザードが語る物語の多くはお伽話と呼ばれるファンタジーです。

                  そのファンタジーが魅力的であること。

                  夜に輝く月のような物語であること。

                  真夜中、人の心のうちに湧き上がる不安や狂気をなだめるためお伽話はあると

                  思わせられるかが重要です。

                  そして、もう一つは「語り手の力」。

                  話の内容が面白いかだけじゃ人の心をつかむことはできません。

                  同じ噺をやっても落語家によって面白さが違うというのと同じで、

                  語り手が魅力的じゃないと、お伽話は輝きません。

                   

                  お伽話と語り手の魅力、アラビアンナイトを演劇にするにあたって、

                  最も重要なことはこれだと考え、台本を書き始めました。

                  では、原作からどのお伽話を採用したのか、それはまた明日の夜に書きます。

                   

                  アラビアンナイト演出ノート1「千と一夜の物語」

                  2017.01.11 Wednesday

                  0

                    演出の倉迫です。

                     

                    稽古場日誌や出演者紹介は俳優にお任せするとして、

                    なぜ「アラビアンナイトを上演しようと思ったのか」、

                    「今回のアラビアンナイトはどんな作品なのか」を

                    本番まで書いていきたいと思います。

                     

                    まずは原作の「アラビアンナイト」の基礎知識から。

                     

                     

                    アラビアンナイトはヨーロッパでつけられた題名で、

                    アラビア語では「アルフ(千)・ライラ(夜)・ワ(&)・ライラ(夜)」、

                    千の夜プラス一夜で「千一夜物語」とか「千夜一夜物語」とか呼ばれます。

                    僕の語感としては「千夜一夜」派です。

                     

                    この物語がいつ頃できたのか、詳しいことはわかってません。

                    9世紀に書かれた紙の断片が発見されているので、

                    少なくとも8世紀後半頃から読まれていたのではと推測されます。

                    バグダードを新たな都としたアッバース朝の時代、

                    日本だと平安時代ですね。

                     

                    千夜一夜物語の特徴としては、口伝えの民話集ではなく、

                    特に初期に集められた物語は、そのいずれもが、

                    「文学的な効果を狙った完成度の高い名作」と言われています。

                    昔話や民話を編集したり、翻案したりして、

                    より複雑な構造を持った作品に仕上げているんですね。

                     

                    ちなみに、この初期の物語集の中に

                    アラジンもアリババもシンドバッドも入ってません。

                    これらは後から付け加えられた物語なんですね。びっくり。

                    アラブの文化圏の変化の中でエジプトの物語が加わったり、

                    ヨーロッパで「アラビアンナイト」が人気になったから、

                    他のアラブの物語がその一部とされて出版されたりして、

                    どんどん増殖していったんですね。

                    だから「アラビアンナイト」には定本というものは存在しません。

                     

                    中世以前のアラブで生まれた文学性の高い物語集が、

                    18世紀のヨーロッパで大ブームとなり、

                    いくつもの違う「アラビアンナイト」が翻訳・編集され、

                    それが19世紀末の日本に輸入されました。

                     

                    日本はアラブ文化と、

                    まずはヨーロッパのオリエンタリズムの産物として出会ったんですね。

                    そういう来歴の物語集であるということに、僕はまず興味を持ちました。

                     

                    そうして、いくつもの「アラビアンナイト」に当たってみた結果、

                    いったい何を思ったのかは、また明日の夜に書きます。

                    お、なんかちょっとシェヘラザードみたいですね(笑)。

                     

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