アラビアンナイト演出ノート4 星のさだめと神の御心のままに

2017.01.15 Sunday

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    倉迫です。

    今晩こそは『音楽劇 アラビアンナイト』で上演する物語の話をします。

    数あるアラビアンナイトのお伽話の中から今回原作に選んだのは大きく二つ、

    『星のさだめ』と『アリババと40人の盗賊』です。

    これに、シンドバッドだったり、魔法の絨毯だったり、もの言う鳥だったり、

    アラジンだったり、黒檀の馬だったりの要素が加味されています。

    今晩は『星のさだめ』についてお話します。

     

    (写真は『星のさだめ』の一場面。王子と星のさだめを予言された少年)

     

    この『星のさだめ』という作品は、日本ではそれほど有名ではないのですが、

    「アラビアンナイトの真髄。最もその精神を表している」と言う人もいるお話です。

    「さだめ」を漢字で書くと「宿命」でしょうか。

    「運命」と書く向きもありますが、

    ある人の逃れようのない人生の顛末は、本人からすると「宿命」、

    他者から見ると「運命」というのがしっくりくるような気が僕はします。

    「宿命」は主観的把握、「運命」は客観的把握という感じですね。

     

    (同じく『星のさだめ』の一場面。少年の父親と星のさだめを予言した占い師)

     

    さて、なぜ『星のさだめ』がアラビアンナイトの真髄なのか。

    このお話は、どんなに人間が懸命に努力しても、人生には思いがけないことが起こる。

    自分の人生も自分のものではけしてない、すべては神の御心なのだ、

    というテーマをそれはもう直接的に描いた作品だからです。

    つまり、このお話はイラスム教の最も中心となる哲学である

    「インシャラー(インッシャアッラー)=神の御心のままに」を描いているんですね。

     

    人間は、思い通りに生きられなかったり、

    約束を守れなかったり、タブーを侵したりするもの。

    しかしそれは神の御心。

    ならば、それを約束事として受け入れようという、

    人生に対する前向きさに変換するのが「インシャラー」ではないかと思います。

    このインシャラーは他のアラビアンナイトのお話の中にもたくさんたくさん出てきます。

    しかし、この『星のさだめ』が、他のアラビアンナイトの話と違うなあと、

    僕が感じたのは、星のさだめの通りに生きた人間が辿り着く境地も描いていることです。

    それは「そうした自分の人生を物語化することで受け入れる」です。

     

    アラビアンナイトにはシェヘラザードだけでなく、

    彼女の語る物語の中で物語を語る人物が現れ、

    さらにその物語の中にまた別の物語を語る人物が現れたりします。

    「語る人」がたくさん出てくるんですね。

    彼らの多くは「自分の人生を物語として語ることで自分の人生を受け入れる」ために語ります。

    そして、そうして語られた物語が、別の人の人生を慰めるんですね。

     

    僕はこの語り手たちのあり方は「俳優」だなあとも思ったりして、

    今回、『音楽劇 アラビアンナイト』の重要な柱の一つにしました。

    「星のさだめ=神の御心=己の不条理な人生」をどう受け入れるか、

    そして受け入れる過程におけるお伽話の効用とは何かを考えながら創っていきました。

    その成果や如何に。ぜひ劇場でお確かめください。

     

    (同じく『星のさだめ』の一場面。王に自分の旅について語る男と

    それを見つめるシェヘラザード)

     

    ただ、まあ、アラビアンナイトを読んでいて面白いのは、

    「神の御心」と言いながら、人間なんてそんなもんですが、

    自然災害以外は人間の「好奇心」や「欲望」によって起きることがほとんどだってことですね。

    抑えきれない「好奇心」や「欲望」こそが神の御心なのかもしれません。

    そして、神との約束をとても大事にするからか、人間同士の約束は割と簡単に破られます。

    そういうところもまたアラビアンナイトのドラマ性として楽しめるところだったりします。

     

     

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    2017.09.19 Tuesday

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